2014年10月12日日曜日

日本銀行の正体  最初に日 本との関係を深めたのはロスチャイルド系でした。ロスチャイルド=三井の政界大番頭は内務卿の井上馨でした。それに対して三井総本家が見込んで任せた三野 村利左衛門という人物がいました。この人が明治はじめの三井の大番頭です。三野村は、優れた幕府重臣だった小栗忠順の使用人だった人ですが、三井家をよく 支えて幕末維新期を上手に切り盛りした。 ロックフェラー家は、西南の役をきっかけに三菱の岩崎弥太郎と組んで、明治10年には早くもロスチャイルド=三井と対抗する大勢力となっている。 ロスチャイルド=三井の次の大番頭は渋沢栄一です。渋沢は岩崎弥太郎より五歳年下です。弥太郎は明治18年に45才の若さで死んで、弟の弥之助、弥太郎の長男・久弥と続いていきます。渋沢は91歳まで生きて約500もの会社の設立に関わります。 渋 沢が第一国立銀行(のちの日本銀行)を拠点としてつくった主な会社は、王子製紙、東京海上保険、東洋紡、日本郵船、東京ガス、サッポロビール、帝国ホテ ル、石川島播磨重工業、渋沢倉庫……等々です。始まりは国営(官営)企業だった大会社の多くを渋沢がつくった。つまりはほとんどはロスチャイルド=三井系 企業と考えればいい。東京湾岸にずらりと横浜の方までつづく倉庫群が建っていた。 幕末に幕臣だった26歳の渋沢は、幕府使節団に加わって 御用商人としてフランスに渡っています。このとき渋沢は銀行家のフリュリ・エラールから銀行業というもの、近代の金融業というものを学びます。このエラー ルのボスがアルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵で、フランス・ロスチャイルド家の総帥です。 渡仏中に日本で大政奉還があって幕府が倒れた。帰国した渋沢は、明治維新後、明治新政府に大蔵卿として招かれます。そして第一国立銀行を設立し、多くの会社を興した。渋沢の第一銀行と三井銀行が一緒になって、やがて日銀が誕生します。 だから日銀は、伝統的に三井ロスチャイルドの牙城なのです。 『昭和史からの警告―戦争への道を阻め』(船井 幸雄、副島 隆彦 著)

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